万成に石工が住みついたのは、天保年間(1830〜1843年)でした。しかし自家用石材の採石のみで、郡方普請の規制もあり、切石の販売はできませんでした。 自由に採石されはじめたのは、明治維新後に郡林であった万成の山林(石山)が民間に返ってからです。はじめは地元の墓碑用石材としての需要に応じる程度でした。

明治二十一年(1888)、光田石材本店の 先代・光田音吉 が採掘を開始してから、その産出量が増大しはじめました。
明治二十五年(1892)、山陽鉄道の敷設に伴って多量の石材を万成山から採掘したので、一般に万成石と称しました。
明治三十三年(1900)、家守氏
4氏が大々的に採掘を初めました。
明治四十年(1907)、第十七師団(岡山)が設置され、膨大なる石材を万成・矢坂から供給したので、万成石は益々著名となりました。

大正初頭から、岡山石材株式会社(後に万成石材株式会社に改組)難波石材、昭和石材
相次いで創立開業しました。
大正七年(1918)には明治神宮の造営に際して、 関東みかげの雄「稲田みかげ」と競い、石材供給の指定を受けました。その後13年にわたって、神宮宝物殿、絵画館、絵画館前の泉水、葬場殿址
 同神宮の工事は一切万成石でなされたために、一躍全国的にその声価を高めることとなりました。

その販売先は明治時代には県内のみでありましたが、大正時代に入るや県外に移出される量が一挙に増えました。各方面の需要者が増加するにつれ、万成石の優秀性が随時知れわたり、昭和時代に入ると県内需要よりも県外需要が激増しました。

現在も万成石は、世界的にもめずらしい品のよい色合いと、品質の良さで、高い評価を頂いています。

 



万成石材採掘販売組合
当サイト内における画像・文章など
一切の無断使用を禁止致します

     万成石材採掘販売組合