2021年7月1日 発信

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2021.4(Jul.2021)
 
・山陽技術振興会創立75周年記念式典[中止]
 新型コロナ感染症の状況が「早期に好転」すれば11月開催を想定していたが、5~7月に予定していた重要行事が続々と日時未定で秋に変更され、11月に予定されていた行事とも競合することとなり過密状態にある。この中へ割り込む勇気はなく、基調講演講師も現時点では予約不可で総合的観点から中止とする。
・山技振サロン、技術交流会、工場見学会 もうしばらく休会とします。
・第65回岡山県溶接技術競技会は6/19(土)無観客で開催、表彰式は日時未定
・文部科学大臣表彰(創意工夫功労者賞)および岡山県知事表彰(工業技術開発功労者賞)の推薦募集開始
 多数の応募を期待する。現場で努力している人達の功績を讃える良い機会です。是非推薦・応募して下さい。当初は当事者も上司も表彰に尻込みしますが、一旦受賞すると本人はもとより関係者にも大変喜んで頂き、仕事の励みになり、自信になります。過去3年間の当会の推薦,受賞実績は以下の通り。
 ○文部科学大臣表彰(創意工夫功労者賞):令和3年当会推薦4件・受賞1件3名(全県授賞3件)、令和2年当会推薦5件・授賞2件4名(全県授賞10件)、令和元年当会推薦6件・受賞4件8名(全県受賞6件)
 ○岡山県知事表彰(岡山県工業技術開発功労者):令和3年当会推薦5件・受章2件4名(全県授賞6件)、令和2年当会推薦1件・受賞1件1名(全県授賞2件)、令和元年当会推薦1件・受賞1件1名(全県受賞5件)
 ○当会提出期限:@文部科学大臣表彰(創意工夫功労者賞)は7月19日(月)[岡山県締切:7月26日(月)]、A岡山県知事表彰(岡山県工業技術開発功労者)は10月1日(金) [岡山県締切10月8日(金)]、提出希望を事前に連絡下さい。詳しくは下記ホームページか当会にお尋ねく下さい。過去の経験を基にアドバイスします。
 ・文部科学大臣表彰(創意工夫功労者賞)[★住民票をお忘れなく!]○推薦書類提出は、紙から電子媒体に変更
http://www.mext.go.jp/b_menu/boshu/detail/1417596_00004.htm
 ・岡山県知事表彰(岡山県工業技術開発功労者) http://www.pref.okayama.jp/page/721363.html
・「夏の大交流会」【中止】
  8月にアイビースクエアー・ビアガーデンで開催し、例年大勢の会員が参加・交流されますが、今年は状況が読めないので一旦中止とします。 
・山陽技術振興会令和3年度第1回理事会[書面開催]
 6月1日に全理事に議案書を送信し、メールにより投票を受ける方式とした。6月10日までに理事全員から投票券が返送され、理事会議案が承認された。
・人材育成事業
 @山陽人材育成会第15回総会[web会議]] 6月3日(木)1330〜1700 参加者52名、育成会新会長にはクラレの津軽利紀倉敷事業所長、副会長には旭化成の井谷圭仁水島製造所長が就任。【化学工業日報紙に大きく掲載】A第56回担当者会議 講座内容、講師交代等について討論、上層部向けダイジェスト講座の提案あり。B人材育成講座はほぼ年初計画通りに進行中。
・おかやま発明協会令和3年度総会6月14日(月)於ピュアリティーまきび
 今年度も生徒・児童発明工夫展・未来の科学の夢絵画展に協賛する。
・岡山県産業振興財団令和3年度第1回評議員会 令和3年6月24日1330〜 於ホテルグランヴィア
・令和3年度岡山大学産学官融合センター研究協力会理事会総会(6月) 中止
・令和3年度中国地域産学官連携コンソーシアム(さんさんコンソ)運営会議(6月25日リモート開催)欠席
・法務局登記 今年は面談不可のため、書面を郵送提出
コロナ禍の中でも時計は止まっていない
 コロナ禍の中で大切な情報が過去形で届いた。私にとって痛恨の訃報が二つ、人生の岐路で大きな影響を及ぼしたA先生とBさんが逝かれた。お二人はご自身が私に決定的影響を及ぼしたとは思っても居なかったに違いない。一人目は小学校5年の受持ちのオナゴ先生である。A先生から「梶谷君は勉強してダイガクに行きなさい」と言われ、初めて大学の存在を知った。「大学では何を勉強するのですか?」、「ダイガクではダイスウを勉強します」、「ダイスウとはどんなものですか?」、「算数の難しいものです」といって鶴亀算を教えてくれた。その年に京都大学湯川秀樹博士が日本人初のノーベル賞を受賞した。私は京都大学に行き、原子力を研究してノーベル賞を貰い、台風で傷んだ小学校の校舎を新築するという骨太の方針を決め、夏柑農家の長男ながら農村脱走を決意した。A先生の罪は脱走教唆である。二人目はBさんで、大学・会社の先輩である。大学に入ったものの3年までは様々な教養や基礎を「学ぶ」だけで「研究」とは程遠い毎日であった。4年に研究室配属が決まってから俄かに研究づいて来た、と同時にもう少し大学に居たいと感じるようになった。「夏柑代金の前借」にも限度があり、大学院費用は企業奨学金を受けるしかないと考えた。学部掲示板に良く知るT社の奨学生募集の掲示を見つけ、 担当教授の部屋に伺った。「T社の書類は、先刻田中君が持って行った。君はこれを出し給え。」と届いたばかりのK社の奨学金書類を渡された。K社のことは良く知らなかったので、卒論指導の博士課程Cさんに相談した。「K社は、Bが行っとる会社やなぁ、自社技術を大事にしているらしいし、いいんじゃないか」とのご託宣であった。私はK社の奨学金を受け、修士修了後K社に入社し倉敷勤務となった。初めてBさんに会った時、入社のいきさつを話した。その後もBさんとは様々な場面で接点があったが記憶に残る出来事がある。NYのパンナムビルで当時米国法人社長のBさんと会談中に秘書のアイリーンさんが「ビル爆破予告」のメモを持ってきた。私はさすがに動揺したが、Bさんは「今から逃げても間に合いませんから、このまま話を続けましょう」と悠然としていた。最後にBさんと会ったのはイベントの岡山プラザホテルだった。コーヒーを飲みながら共通の知人Cさんの話に及んだ。Bさんの訃報を聞いてCさんに電話した。K社奨学金について相談した際「Bが行った会社だからいいんじゃないか」と言われてK社に決めたことを言うと「俺、そんなこと言うたかなあ」との返事だった。あれから61年になる。A先生にもBさんにもCさんにも心から感謝している。[合掌]【KAJIX】

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