2021年10月1日 発信

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2021.7(Oct.2021)
・「ダイジョーブダァ」(志村けん)は死語になった
 昨年の10月は「Go Toキャンペーン」の全国展開が始まり、倉敷美観地区にも束の間の賑わいが戻って来たのだが、あっという間に中止になった。「最悪の事態を想定しない愚かな施策」として「大失敗」の烙印を押された。世の中は最悪事態の想定競争で楽しくない。食料、資源、環境、エネルギー、温暖化、地震、津波、洪水、感染症、財政、年金、あらゆる分野で専門家は「タイヘンダァ」と言ったもの勝ちの様相を呈している。幸い、岡山県は緊急事態から蔓延防止に移行して落ち着いて来たが予断は許さない。山技振の活動も世の中の動きに合わせて再開するつもりだが、メンバーの年齢を考えると「SLOW BUT STEADY」が良いだろう。イベントは今しばらく休会とする。
・第71回岡山県児童生徒科学研究発表会
 今年も11月28日(日)に岡山理科大学を会場に開催される。協賛金と山陽技術振興会会長賞で協力するが、コロナ禍のため来賓出席はなく関係者のみで開催する。
・第65回大原孫三郎・總一カ記念講演会
 10月7日(木) 1730-2030 倉敷公民館大ホールで「大原労働科学研究所創立百周年記念事業」の一環として開催。作家江上剛氏の講演と大原労働科学研究所によるパネルディスカッション、先着90名限定で開催。
・岡山県知事表彰(岡山県工業技術開発功労者)
 2件5名の応募があり、10月8日(金)までに岡山県に提出する。
・山陽人材育成講座
 様々な創意工夫のもとにリモート講座を充実し、実現範囲拡大に鋭意努力した結果、目覚ましい伸展が見られ、ほぼコロナ前レベルに回復した。山技振の担当者の努力と創意工夫だけでなく、受講する企業サイドの担当者・受講生の努力と投資が両々相俟って講座の急速な発展を支えていると認識している。
京都大学ウイルス研究所の思い出
 昭和35年夏、卒論研究のために設立間もないウイルス研に通った。ここに設置された分析用超遠心機を借用して特殊高分子の分子量測定をするためである。ウイルス研の川出由己先生と我々の先生が懇意だった縁で実現した。当時のウイルス研は医学部の中に間借りしていた。「患者の脈も取れん輩がウイルスの基礎研究をして何の役に立つか?」と悪口を言われていたが、川出先生は飄々として居られた。秋の一日、我々工学部の研究室メンバーとウイルス研および理学部物理の連中でハイキングに出かけた。理学部湯川研の柏村さんが蛇を手で捕まえ(写真がある!)、それを見た秘書の竹内さんが慌てて転んでフレアスカートに座り込んだこと、川出先生の奥様が「ボクー!」と呼ぶので子供がいるのかと思ったら川出先生を呼んでいたこと、工学部博士課程の内山さんは二の腕を爪で引っかくと蕁麻疹でミミズ腫れになることなど、他愛のないことを覚えている。
 コロナウイルスが世界を震撼させている。日本で最初のウイルス研究所に通った経験は、ウイルスとは無縁であるが、私のデキゴトロジーの貴重な一頁ではある。ウイルス研の分析用超遠心機Spinco Eを借用した測定は内山さんと徹夜までして頑張ったにも拘わらず失敗に終わった。さらに高槻の化学研究所で借りた空気駆動式超遠心機PHYWE(名前まで正確に覚えている!)でもうまく行かず、超遠心とは余程縁がないと思われた。「超遠心」は二度も私を蹴飛ばした憎き敵である。が、私の「俳号」は「梶谷超遠心」である。ときどき俳句雑誌の特選、秀逸、佳作欄に掲載される。ネット囲碁対局では「ultracentrifuge」を名乗っている。対戦相手に「化学屋さんですか?」と聞かれることがある。
 この機会に川出由己さんとウイルス研究所について調べて見た。川出さんが亡くなられたとき( 2015年、90歳、京大名誉教授、分子生物学、著書『生物記号論 主体性の生物学』)、JT生命誌館長中村桂子さん(当時)が追悼文を書いておられる。『最初の論文は「分析用超遠心機による沈降定数の測定」渡辺格、川出由己、水島三一郎、日本化學雑誌(1952)で、DNAとタバコモザイクウィルスの測定をしておられる。ワトソン・クリックの二重らせんモデルの論文が1953年ですから、それより前です。超遠心機はお手製で、その過程の説明があります。「創世記」を読んでいるようでドキドキしました。雑誌は船便で送られてくる時代ですし、DNAという言葉を知っている人さえほとんどなく、研究者仲間でも分子生物学なんて聞いたこともない人が多かった中での研究は大変だったでしょうけれど、楽しかったろうなと思います。』。共著者の渡辺格先生もウイルス研究所に昭和33〜38年在籍して利根川進(ノーベル賞)など優秀な弟子を育てた。
 歴史的には、昭和27(1952)年に「日本ウイルス学会」が設立され、折しも文部大臣から「新研究所建設を各方面から検討、考慮するように」国立大学研究協議会委員に諮問された。最終的に海洋、癌、ウイルスの3分野が残り、ウイルス研究所の設立が決まったが、実現には3年を要した。ウイルス研究所は、当時アメリカ、ドイツ、イギリス、チェコにしかなく、これらを調査するとともに、全国の研究者が参加出来るよう配慮することが強調された。場所は京都大学医学部となったが、名称「ウイルス研究所」について文部省は「カタカナを冠したものは前例がない」と難色を示したが、名古屋大学の「プラズマ研究所」が設立されてようやく承認した。医学部に置きながら「ウイルス病研究所」としなかったのは、基礎医学・生物学を志向する関係者の熱意の反映であった。この様な紆余曲折を経て昭和31(1956)年ウイルス研究所の設立が最終決定し、世界で5番目、日本初のウイルス研究所がスタートした。
 現在の名称は「京都大学ウイルス・再生医科学研究所」(2016年10月1日)である。1941年発足の結核研(のち胸部疾患研)と桜田一郎先生(ビニロン発明者)が1980年に設立した医用高分子研究センターとが統合した「再生医科学研究所」と首記「ウイルス研究所」が統合された研究所である。再生医科学研は、ES細胞やiPS細胞、制御性T細胞など再生医学に革新的な基盤を確立し、臨床応用も目前にきている。一方、ウイルス研も本邦分子生物学の黎明期を牽引し、多くの分子生物学者を輩出し、ウイルス感染症学でウイルス発見に貢献してきた。2019年にアウトブレークした新型コロナウイルスの研究も開始し、ウイルス研究の重要性が再認識された。この外にも、免疫学、発生学、幹細胞学、タンパク質科学、数理科学、ゲノム医学等のエクスパートを有する医学・生命科学の先端研究所である。(KAJIX)

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