〒704-8116 岡山市東区西大寺中3-6-15 岡山商工会議所西大寺支所内
西大寺青年会議所(西大寺JC)とは、吉井川を中心とする西大寺、瀬戸内市三町及び上道地区に居住又は勤務する20歳から40歳までの品格ある青年経済人の集まりです。会員の行動を通じてリーダーシップをバックボーンとした自己修練の達成、地域社会への奉仕の精神を養い、活動し、会員相互の親睦を図りながら経済、社会、文化について研究することを目的とした団体であり、その運動は日本青年会議所及び国際青年会議所の機構を通じて国内をはじめ全世界へと広がっています。西大寺JCは自己修練及び会員相互の友情を図るため、月1回の例会及び各々の委員会を通じ、経営・指導力・青少年育成・福祉・環境・政治等身近の問題を研究し、討議し、明るい未来の街づくりを目指し、日々努力しております。ここにその運動の一部を紹介させて頂きます。私たちの運動を少しでも理解して頂けたらと思います。
毎月1回定期的に行われるもので、全会員が集まり、講演や研究によって自己修練の場となっています。必ず全会員が出席をしなければ行けない事業の一つです。
委員会はJCの事業を実行するために、毎年いくつかの委員会に分かれ、会員はどこかの委員会に所属しています。各事業の実行時期等の兼ね合いで、月2回から月6回以上委員会内で計画を練ることもあります。大きく分けて「総務」・「青少年育成」・「地域活性」・「会員研修」を目的として各委員会が運動しています。
【創立】1960年11月29日(認証番号196)
【会員数】2024年1月現在13名
【例会日】毎月第二水曜日
【事務局&連絡先】
〒704-8116
岡山市東区西大寺中3-6-15
岡山商工会議所西大寺支所内
TEL(086)942-0101
FAX(086)942-0103
We Believe;
That faith in God gives meaning
and purpose to human life;
That the brotherhood of man
thanscends the sovereignty of nations;
That economic justice can best be won
by free men through free enterprise;
That government should be of laws
rather than of men;
That earth’s great treasure lies in
human personality ; and
That service to humanity is the best work of life
To provide leadership development opportunities
that empower young people to create positive change.
To be the foremost global network of young leaders.
日本の青年会議所は希望をもたらす変革の起点として
輝く個性が調和する未来を描き
社会の課題を解決することで
持続可能な地域を創ることを誓う。
われわれ JAYCEEは
社会的・国家的・国際的な責任を自覚し
志を同じうする者相集い力をあわせ
青年としての英知と勇気と情熱をもって
明るい豊かな社会を築き上げよう。
日本全国701の地域に約40,000人の『修練』『奉仕』『友情』という三信条のもと
率先して行動する仲間がいます。
半世紀以上も前から時代は変われど『明るい豊かな社会』の実現を目指す
指導者たらんとする青年団体、それが青年会議所(JC)です。
国籍・人種・性別・職業・宗教の区別無く
20歳から40歳までの志の高い青年経済人によって構成されております。
1949年『日本はこの先どうなるのだ!?』という今以上に混沌とした戦後の時代背景の中
全国各地で志ある若者たちが立ち上がり、青年会議所運動は始まりました。
そして1951年、全国各地で活動していた青年会議所が集まり日本青年会議所(日本JC)を創設。以来、日本の青年会議所運動の枢軸として各地の青年会議所と連携し活動を展開しております。
日本青年会議所は国際青年会議所(JCI:Junior Chamber International)の一員です。
国際青年会議所は世界112カ国・27万人以上、OBは250万人以上という組織です。
アメリカ42代大統領ビル・クリントン、第7代国連事務総長コフィー・アナン、フランス第5代首相ジャック・シラクも青年会議所のOBです。
その他多くのメンバー・OBが世界中にいます。くわしくは
http://www.jci.cc
をごらんください。
1951年2月9日、東京商工会議所の2階会議室に55名の委員は創立総会に臨んだ。
開会が宣され、まず丸晋設立準備委員(東京)が東京JC設立から今日に至る経過を報告し、次に満場一致で東京JC理事長の黒川光朝が議長に選出された。
定款、役員選任は原案とおり可決され、別室で第1回役員会が開催され、初代会頭には黒川光朝が就任した。
そして、ここにJC運動の要というべき日本青年会議所は10JC、506名をもって誕生した。
初年度の大事業としてJCIとの提携があった。1951年5月にカナダ・モントリオールで開催された第6回JCI世界会議には黒川会頭を含む6名の代表団を派遣した。
開会式において、時のJCI会頭フィリピンのラモン・ロザリオの冒頭演説であった。
「.....JCには国境も民族もない。それは、全世界の青年のものである。その誇りにおいて、われわれはいまここに、かつての敵国日本のJC代表団を、心からなる歓迎をもって迎えようとする.....」
ウワーッという拍手、まばゆいばかりにスポット・ライトが日本代表団に当てられる。全員が立ち上がって、いっせいにこちらを向いた。
JCI正式加盟は直ちに日本JCへ打電された。
講和条約調印以前に国際団体に加盟している日本の団体はロータリーのみであった。
国民待望の講和条約が1952年に発効された。
その4月20日から4日間、日本JCは東京において第2回JCIアジア地区会議を主催した。
この会議は日本で開かれる国際会議の最初の試みであった。
とにかく、創立1年2ヶ月にして国際会議を開催するなどということは、冒険といえば冒険であった。現に、その前年の10月、JCIアジア地区担当副会頭ヴィラヌーヴァ(フィリピン)から「もし日本が第2回の開催地として正式の申し出を行えば、日本以外のJCから全員一致の支持を受けるだろう」という主旨の書簡があったとき、その開催についてかなり議論が戦わされた。第2代会頭の小坂は受諾を固めた。
会議にはJCIのバグスレー会頭はじめアジア各地から31名が来日し、日本JCからは311名が参加した。
幸いに、東商はじめ政・財界からのバックアップ、各報道機関の応援が得られ、会議は予想以上の成果をあげた。今日からみれば、実に小規模な国際会議であるが、とにかく日本では最初の国際会議だったのであり、当時としては大成功といってよかった。