2024年5月1日 発信

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2024.02(May.2024)
 美和事務所から水江事務所に移ってひと月が経った。高梁川の堤防を見上げる場所である。堤防が決壊すれば水江地区は名前の通り江になる。近くのイオンモール敷地には見覚えのある巨木が残っている。61年前に新入社員として出会った巨木である。当時の高梁川堤防は狭い田舎道で車が通ることはなかった。同期入社の中に数名の柔道選手(倉敷レイヨン㈱は当時柔道・野球・バレーが強かった)が居て、彼らは実習期間中も夕食後に高梁川の堤防を走っていた。二人は東京五輪強化選手であった。庄新町の自宅から水江事務所への通勤ルートは、このところ、国分寺五重塔-清音渡辺工業-高梁川堤防を通っている。新緑の美しい通勤路で高梁川を身近に感じて「ひとこと」欄に書かせてもらった。折しも雑誌「高梁川」81号が創立70年記念号として発行された。
・公益社団法人山陽技術振興会第79回通常総会
 令和6年5月31日(金)13:00~14:00、場所:倉敷商工会議所 (1)総会13:00~14:00、(2)令和6年度第1回理事会:令和6年5月31日(金)14:00~14:30  来年度からは、山陽技術振興会の基本事業(技術振興事業と技術普及事業)と人材育成事業(人材育成会を通じて活動)を統合した新しい山陽技術振興会としてスタートさせる計画であり、総会の顔ぶれは大幅に変わると思われます。古くからの山技振会員が出席する最後の総会になると思われ、是非とも多くの方の参加を切望します。ここで退会される会員諸氏も5月総会には出席して頂き、6月に会費請求書と退会届書類の両方を郵送しますので、退会届を提出して頂ければ会費払込は不要です。
・山陽人材育成会総会・講演会
 令和6年5月31日(金)15:00~、場所:倉敷商工会議所、16:15~記念講演:鈴木康幸氏[総務省消防研究センター所長・元消防庁審議官]、演題「正当にこわがることはなかなかむつかしい」。山技振会員・人材育成会会員・その他非会員の方の聴講を歓迎します。
・山技振サロン、技術交流会、工場見学会は引き続き休止。
・令和6年度文部科学大臣表彰(創意工夫功労者賞)伝達式並びに岡山県工業技術開発功労者表彰
 日時令和6年4月19日(金)13:30-15:00 於テクノサポート岡山大会議室。創意工夫功労者賞:山技振推薦2件/全県5件【田房泰明(JFE西日本製鉄所)「圧延機ギヤスピンドル取替方法の考案」、丸山健治(丸五ゴム工業㈱)倉敷工場「車の燃料タンク運搬台車取出し作業姿勢の改善」】、岡山県工業技術開発功労者表彰(岡山県知事表彰)山技振推薦3件/全県6件【井上慎太郎・岡田雄大(ナカシマプロペラ㈱)「新型舶用推進器ステアジェットの開発設計」、大林弘典(㈱ミズレック倉敷支店)「袋詰め作業における人手作業の3K改善と作業能率の工場、花本崇司(JFE瀬戸内物流㈱)「製鉄所内設備清掃における人手作業の3K改善と作業能率の向上」】
・人材育成事業
 令和5年度は、事業全体として人材教育への期待とリモートの利便性が相乗し、受講者はコロナ前の状況を超えた。すなわち、年間では出前・共催コースを25講座とホームコース74講座を合わせ99講座を実施、延べ受講数2,701名でコロナ前の2019年を超えた。その結果、事業収益は予算に対し649万円増の6,482万円と増収になり、経費を差引いた経常損益は514万円と増益になった。このうち300万円を研修室資金に積み立てることで理事会承認を得ている。
・人材育成新年度開始
 令和6年度は開業18年目、4月9日の化工基礎からスタート、15日の課題形成①で対面講座開始。ICT活用は順調。4月17日京葉人材育成会を訪問し情報交換、出光技術研修センターで出光の安全体験の設備・計装・化学工学・シミュレーター設備を見学。
「高梁川」
 61年前の1963年(昭和38年)春に高梁川の畔の酒津で会社生活を、秋には結婚生活をスタートした。工場・社宅からも近い高梁川の堤防は格好の散歩コースで、子供が生まれると乳母車に乗せて川の流れを見に行った。大雨の後は堤防から手が届きそうな水位まで増水した。酒津での生活に馴染んだころ、会社の仲間と3人乗りゴムボートで高梁川の川下りをした。豪渓を出発し、霞橋ゴルフ場がゴールである。湛井の堰の様子から見ると川の流れは結構ありそうなので、9時にスタートすれば日没までには霞橋に到着すると読んだ。豈はからんや、川の流れはほとんどなく、持参した2本のオールで漕ぎ続けないと進まず、結局一日中漕ぐことになった。しかも、3人乗ると一人が両手にオールをもってボート漕ぎするスペースがなく、二人が一本づつオールをもって手漕ぎするスタイルになる。結局、1日目は「水江の渡し」までしか行けず、次の日曜日に2日目の川下りをして霞橋ゴルフ場に到着した。その昔、世界も日本もモノの運搬は水運が主流であり、モノだけでなく文化もヒトも川の上流と下流で交流した。花嫁は船に乗って到着することが多かった。現在、成羽美術館では児島虎次郎没後95年特別展が開催されている。高梁川の上流の成羽の旅籠に生まれた虎次郎は旅の絵描きに才能を見出され、高梁川下流の倉敷村の大原孫三郎の奨学金を受けて東京の美術学校に進み、黒田清輝、藤島武二らに師事し、2年飛び級で卒業、勧業博覧会美術展に「なさけの庭」を出展し一等賞を獲得、宮内省お買い上げとなる。その後、欧州に留学し、現在の大原美術館の多くの絵画を収集した。吹矢の弁柄が成羽川から高瀬舟に乗せられて玉島港に運ばれ、有田焼の柿右衛門の赤として世界に広がったことと無関係ではなかろう。【kajix】

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