2025年4月1日 発信

Tel.(086)454-8820/Fax.(086)454-8821
sangisin@optic.or.jp
https://www.optic.or.jp/sangisin/

2025.01(Apr.2025)
 令和7年度が始まった。今年度から人材育成会を山陽技術振興会に併合し、従来の技術振興事業、技術普及事業、人材育成事業の三本柱を一体運営する。会員の顔ぶれも大きく変化したが、文部科学大臣表彰(創意工夫功労者賞)並びに岡山県工業技術開発功労者表彰等の技術振興事業に関しては、非会員(旧会員)にも応募を呼びかけ、岡山県担当課への推薦を従来通り継続実施するので積極的応募を期待する。
・山陽技術振興会第80回通常総会
・第1回理事会:令和7年6月2日(月)14:30~19:00、場所:倉敷商工会議所
@総会14:30~15:30[第1号議案:令和6年度事業報告、第2号議案:令和6年度決算報告、
第3号議案:令和7年度活動方針・事業計画、第4号議案:令和7年度収支予算計画、第5号議案:研修室資金積立、
第6号議案:役員改選(非改選期)、その他]、
A第1回理事会15:45~16:15、B特別講演16:30~17:30、C名刺交換会。[時間割は多少変更あり]
(1)3/3第71回担当者会議:2024年度受講者実績と決算予想、2025年度受講者予想と予算案審議。
(2)令和6年度第2回理事会 日時:令和7年3月6日(木)18:30~19:30 、場所:倉敷商工会議所
出席者:理事11名中7名、監事2名中1名、理事会成立。議案=第80回通常総会議案審議[第1号議案:令和6年度事業報告、 第2号議案:令和6年度決算報告、第3号議案:令和7年度活動方針・事業計画、第4号議案:令和7年度収支予算計画、 第5号議案:研修室資金の積立、第6号議案:役員改選(非改選期)、その他] 原案通り承認された。この内容の議案を令和7年度総会(6/2)に付議する。
(3)3/12 新会議室完成(定員10名+α)、
(4)3/24 技術交流会「プロセス安全とサイバーセキュリティ講演会」講師 名古屋工業大学名誉教授橋本芳宏、
参加者:対面59+OL24名=83名(10社・14事業所)「悪意を持ったサイバー攻撃を防ぐのは、結局、現場の人間の"微かな異変"を感じ取る感性である。」
(4)2024年度講座終了:「事故事例」(2/27大分出前講座)を最後に講座終了。29科目ホーム86講座・出前17講座計103講座に延べ2,643が受講。
(5)2025年度募集開始:3月3日募集開始。29科目ホーム83講座・出前16講座計99講座でスタート、34/59事業所からホーム受講希望2016名と出前予定407名、合わせ2,423名が予約済。
「大相撲とIH君の思い出」
大相撲春場所は、新横綱豊昇龍(モンゴル出身横綱として6人目)が途中休場、高安の初優勝ならず、大の里の優勝で終わった。いまひとつ盛り上げに欠ける春場所であった。モンゴル出身の幕内力士は、現在9人いる。7年前農業視察旅行でウランバートルを訪れた。11月初旬なのに着陸1時間前から白一色の世界であった。農業研究所や大学構内の通路は凍結して危険なので、警備員が鶴嘴で氷を割っていた。市内の至る所に成吉思汗の銅像があり、すべての硬貨に成吉思汗の像がある。ウランバートル中心街のデパートは、天満屋にも負けない立派な造りで店内の照明も明るく、着飾ったモンゴル人やスタイルの良いロシア人女性がハイヒールで颯爽と歩いている様は、ニューヨークと見間違う光景であった。
子供のころ相撲は大好きだった。村内に前田山英五郎の石碑があり、彼は佐田岬半島の喜木出身で喜木山→佐田岬→前田山と四股名を変えて昭和22年に第39代横綱になった。当時相撲は日本人だけのものだった。愛媛県佐田岬では新聞とラジオと村芝居が情報源の全てであり楽しみでもあった。中でも大相撲放送は最大の楽しみであった。小兵ながら相撲大好きで、山越え1里の中学校に進んでからは栃錦を名乗って技を磨いた。自称羽黒山のIH君とは良く相撲を取った。ある日二人は、禁止されている教室横の廊下で相撲を取っているうちに私の下手ひねりがタイミングよく決まり、IH君の大きな体が宙を飛んで靴脱場の上がり框の角にふわりと落ちて弾んだ(ように感じた)。幸いIH君に怪我はなく、先生にもばれず、事なきを得た。あのときの右腕の感触とIH君の腰が沓脱場の角に落ちて弾んだ感触が今なお鮮明に記憶に残っているのは何故なのだろう。大相撲放送の時節、私(栃錦)とIH君(羽黒山)は、前日の幕内力士の全取組の経過を記憶し、主要な取り組みについては対戦経過をノートに記録し、交換して互いに添削し合った。意見の相違で紛糾するのは、いつも柱の色と手と足の右と左だった。二人で取り組みを再現しながら論争を続けた。大関栃錦と横綱羽黒山の対戦は感情移入激しく、ことさら紛糾した。ラジオから流れるアナウンサーの音声のみが情報源で、録音、録画も再放送もないので、二人の論争は決着がつくことはなかったが、やたら楽しかった。 15歳で私は村を出て船便3.5時間の八幡浜市に下宿して高校に行き、IH君との交流は途絶えた。IH君は対岸の大分に働きに行ったらしかったが、音信はなかった。 さらに時が過ぎて、私も家族が増え両親の元へ頻繁に帰省するようになり、同級生S君からIH君にまつわる出来事を聞いた。IH君は、同じ佐田岬半島出身の女性と目出度く結婚する運びとなり、農協の2階の大広間で結婚式・披露宴を行うべく同級生はじめ大勢の参列者が早くから席についてIH君を肴に飲み始め、宴もたけなわになったところへ花嫁が沿岸航路の船で到着する予定であった。しかし、花嫁が到着することはついになかった。50年以上前の話である。爾来、IH君は故郷に戻っていないらしい。大分で飲み屋をやっているとの噂があるが定かでない。大相撲が始まると番付表に羽黒山の名を探してしまう癖は認知症になっても直らないと思う。[kajix]

sangisin@optic.or.jp